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07« 2008/08 »09

プロフィール

くろくま

Author:くろくま
メタボに悩むくろくまです。
蒸機終焉までの五年間、
期末試験も受験勉強も
ほったらかしで、各地を
駆け巡りました。
このブログが回顧録になるのか、
それとも新展開が生まれるか、
わたしにとってもお楽しみ!!

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利尻富士とC55 

利尻富士とC55

49年元日の画像です。人とちがった撮影を、と言いきるわたしでも
有名撮影地で撮りたいこともあります。
正月だというのに南稚内から数キロ歩いて写しました。
たぶんC5550だと思います。ここで撮影できたのは、この1カットのみ。
かろうじて利尻が望めましたが、朝陽にあたってホンワリ浮かんでいるのみ。
それでも初トライでその姿が拝めたのはラッキーかな?

今日は風が強く寒かったです。明後日からの南房、吉とでるかそれとも・・・

煙はるかに 

恵比島の後補機

はじめて渡道したのは、46年の夏でした。あこがれの冬の北海道は48年3月。
雪のなかの蒸機に初めて接したことは、人生が変わったかのよう・・・。
もっとも、このときはニセコもなくなっていましたが、D52、D61は未だ健在。
D61は4号機のみ、D52も殆どは廃車になって五稜郭にありましたが。
そのD61を求めて留萠本線にやってきました。まさか後日「明日萌」となって、
復活蒸機が走ることになるとは想像だにしませんでしたが・・・。

さて、これはD51+D51ですが、蒸機素人のわたしには、編成の長さやレンズの
画角が「想定外」で、後追いでギリギリ編成を入れることができたのです。
稚拙な写真ですが、それなりの思い入れがありますので、アップしました。

塩狩峠をめざす 

ここ、何日か東京は寒いです。
今日は、東久留米の「お風呂の王様」に行ってきました。
幾種類かの風呂のうち、「不感温度風呂」というのがありまして、
体温くらいのブクブク風呂です。
不感→ふかん→俯瞰・・・。気持ちよく浸からせていただきました。
塩狩をめざすC5550

48年12月30日の和寒で写した324レです。牽引機はC5550です。
当時宗谷本線のC55の運用は旭川―稚内に一往復。
旭川―名寄で一往復運行されていました。
問寒別や雄信内など、後に考えると行きたいところ数知れずですが、
画面右上の三角山から写したかったことしきりでした。
旧客っていいですなぁ。

オホーツクとキューロク 

ブログ開設以来、ひと月が経ちました。おおーっ!! 毎日更新されてる!!
遥かなる流氷

興浜北線の有名撮影地は、斜内―目梨泊の(シマシマ)灯台をからめた場所です。
蒸機が判別できない方は、画像をクリックしてくださいね。真ん中にいますよ。

わたしたちは北見枝幸を見下ろす高台で撮影しました。(この画面には
北見枝幸駅は移っていませんが・・・)バックはオホーツク海。
海の右奥、白っぽくなっているところには、流氷が群がっています。

撮影日は50年3月24日ですが、この当時は2月下旬から4月上旬くらいに
流氷が接岸することが多かったと思います。風向きやその強さで
一晩で接岸したり、離岸したりを繰り返します。
湧網線で撮影した流氷は、陸地との境がわからないくらい一体化していましたっけ。

この足跡はだあれ? 

この足跡はだあれ?

48年12月26日の湧網線、計呂地での後追いです。
線路内をわがもの顔で闊歩したのは誰でしょうか。野うさぎ、それとも野ねずみ?
はじめての湧網線、北海道のローカル線のキューロク、満喫しました。

雪国でよく見かけた足跡、どなたか解説していただければ・・・と存じます。

遠軽の朝 

週末は雪になるという天気予想がでていますが、
真岡に向う奇特な方、いらっしゃいますか?
遠軽ヤード

49年12月26日の遠軽です。左手に特徴のある崖が写っていますね。
ここは、大雪5号に乗って未明に乗り換える駅でしたね。
名寄本線や湧網線に行くときには、幾度となく利用しました。
夜が明けてくると、キューロクの仕業が活発になりました。

ちなみに、遠軽の駅弁「かにめし」と長万部の「かにめし」は瓜二つでした。

な〜んにもない雪原 

朝の冷え込みはやわらいだような気がするのですが、風があるとやはり寒い。
もう2月も終わりだというのに・・・。
2月、6月って現役蒸機撮ってないような・・・。
キューロク奮闘

青い空と白い大地、な〜んにもないところをキューロクが走り抜けます。
50年3月14日(ホワイトデー?)の渚滑線、十六号線付近です。
この撮影行では、なにを思ったか渡道するや否や、まっすぐに渚滑線にきています。
この線も超ローカル線、くろくまの心が疼くわけです。
終着駅の北見滝の上まで乗ってから、折り返してきて、ここで下車。
ちなみに十六号線の名の由来は、踏切をわたる狭い農道が16号線ってだけ。
乗降場の名前はストレートでしたね。

サロベツの墓標 

今日から3月ですね。復活蒸機の季節になってきました。
おふろの王様光ケ丘店に行き、湯ったり。
光ケ丘公園は暖かく、春の息吹を感じました。
サロベツの墓標

50年3月16日、宗谷本線の勇知―抜海に行きました。
このときは、すでにC55の牽く客レはなかったけれど、
ローカル線のキューロク好きなくろくまは、のこのこ出かけていきました。
1391レが勇知側から登ってきました。墓標のような板きれが雪に埋まっていて、
悩んだ揚げ句、画面に据えました。このあたりはサミットになっていて
この列車と抜海で交換して1396レが登ってきます。
およそ十数分のあいだに、愛すべきキューロクを2回撮影できました。

超ローカル 

今日は暖かかったですね。
くろくまは昨日より体調おもわしくなく、昼近くまで寝てました。
午後に裸族の頭なるドライブ接続パーツを買ってきて
クラッシュしたHDDと接続しましたが、今日も認識しませんでした。
知来を行くキューロク

50年3月17日の湧網線知来付近でのキューロクです。
ローカル線、人が来ない、俯瞰と凝り固まったくろくまは、殆どビョーキ状態。
もう止められません(この年のクリスマスイヴには止まりましたが)。
湧網線といえば二見ヶ岡、鵜原内、北見平和、能取、計呂地あたりが撮影地。
なにもこんな無名の場所で山に登らなくてもよさそうなものですが・・・。

キューロクの大地 

午前中で雨もあがり、気温はもう4月。
撮り鉄ミツバチの方々は気もそぞろ、かなっ!!
キューロクの大地

49年12月24日の湧網線、浜床丹(無人乗降場)―床丹でのキューロクです。
135ミリにテレプラスを装着しての撮影、画像が荒れています。
網走を10時8分に出た1990レは佐呂間で約1時間の休憩の後、中湧別を目指します。
網走湖、能取湖、サロマ湖を右に見て一所懸命に走ります。
汽水湖のすぐ傍らを走っているのに、こんな山のなかを走っているような
さまざまな顔を見せてくれるローカル線でした。キューロク、万歳!!
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