くろくまと蒸機たち

懐かしい蒸気機関車と復活蒸機写真との怪しげな融合。

日中線お別れ列車  

会津加納を行くC11重連

今日はとても冷えました。ブルブル!! 明日も休日出勤する予定です。
三連休が単休になってしまった。

本日のupは日中線のお別れ列車。昭和49年11月3~4日に撮影しました。
沿線は人や車が多く、とくに会津村松から熱塩は人だかりができていました。

このポイントはロケハンもなしに、会津加納から急遽登った場所。
コンセプトは、「135ミリレンズでサイドから全編成を入れる」でした。
もっともリバーサルは50ミリでの撮影でしたので、小さい小さい。
牽いていたのは、c1180と64だったと記憶しています。

スキャンをしていて思うのですが、KIIは非常に優秀ですね。
ASA25ですが、退色も少なくF社のフィルムとは大違いです。

ちなみに、この撮影行で泊まった場所は、会津線桑原駅でした。
いまは、湖の底ですね。

会津の七つ道具  

490210aizu.jpg

今回の画像は49年2月(この撮影行の日付が不鮮明、もっと前かも)の
会津若松機関区です。右側にいるのはc11199、ほかに312や門デフの254も
いました。手前のさまざまな道具類は何なのか、わかりませんが
これが蒸機たちを保全していたのだと思います。

今考えると、もっと夜間撮影をしておきたかった。

会津越川を行く  

東京は台風一過といった感じで暖かな好天にめぐまれましたね。
一方、今日から試運転のはじまった只見線のC11、雨が降ったり晴れ間がでたり、
大変だったようですが、人出が多かったというはなしです。
会津越川を行くC11

そんな訳で今日は、昭和49年9月22日の会津越川の画像です。
現役時代の只見線は、滝谷、桧原―西方、宮下―早戸、水沼―中川が撮影地でした。
そんななか、効率のためか会津川口―只見はほとんどが撮影処女地でした。
この撮影行のときは、会津塩沢駅に泊まりましたが、いまはダムの底になった
会津線の桑原駅にも泊まりました。秋口は結構冷えるので自炊後の暖気を逃がさぬ
ように、戸締まりしてシュラフにくるまったものです。

会津、只見、日中線・・・、二千円台のミニ周遊券で行けました。

そうだ、只見線ダイヤ作成しました。メールをくだされば添付返送しますよ。
B4で作ったPDFです。ただし、ノークレームですよ!!

蒲生岳をバックに  

天気予報を信じて秩父行脚を取りやめたのに、秩父地方、雨は降らなかったとか。
狙っていたポイントが逆光ポジションだっただけに残念でなりません。

そうそう、琴欧洲優勝、よかったですね。かわいかったですね~っ!!

只見線に行けなかったくろくまですが、今日も現役時代の写真をアップします。
蒲生岳をバックに

昭和49年9月16日の会津塩沢―会津蒲生です。
今ではお立ち台でしょうが、当時は撮影者も稀でした。
「会津のマッターホルン」と呼ばれる蒲生岳が鎮座しています。
山頂付近はガスが発生しています。中腹から撮影される方も多いと聞いてますが
くろくまが登れば更にガスが濃くなること必至ですねぇ。

30年前の只見線を思い出しつつ、今日の只見路に思いを馳せるくろくまでした。

会津坂下の線路端  

雨の降り続く一日でした。入梅も近いようです。
せめて週末だけは晴れてほしいものです。

TVの報道で、丹沢に山ビルが異常発生しているとか・・・。
そういえば、裏妙義にも多発場所があるようです。夏眠の季節到来ですね。
はじめての只見線

今日の画像は昭和47年8月27日の会津坂下。たぶん塔寺よりですね。
友人Yくんとの陸羽東線の帰り、米沢で別れてからの単独行です。
はじめての只見線。カメラはニコマートFTn,レンズは35ミリf2.8でしょうか。
当時、厨房のくろくまにとって、線路端での撮影はあたりまえだったでしょうが、
このポジションで撮影コマ数は6コマ。最初の二コマは小さすぎて使えません。
撮影に一所懸命だったのでしょうね、微笑ましいフレーミングでした。

誰もいない静寂のなか、クマが出てくるんじゃないかと真剣に怖がっていました。
まさか、自分がクマになるとは・・・。


刈り入れ間近  

日中は暑かったですね。こんな日に昼ご飯でよく食べるのが「ざる中華」です。
今日は日本蕎麦屋さんで食べたのですが、ラーメン屋さんの方が酸味があるし、
チャーシューやメンマが入るのでおいしいですね。どちらも薬味はワサビですが。

c62kickさんが木曜日に出張で都内泊、ということでkoppl-2さんとくろくまを
交えて呑み会をしようということになりました。今から楽しみです。
c62kickさんとの出会いは、昭和50年12月24日の夕張線十三里。
丘のうえでカメラを構えていたくろくまの画角にひとりの男が・・・。
現役時代最後の「どけーっ!!」をやってしまいました。
c62kickさんはすごすごと去っていったのですが、この人がkoppel-2さんの
大学の先輩。「登れ登れ、誰よりも高く!」のAさんだったのです。
稲刈り前

さて、今日も49年9月16日の会津横田の写真。
二百十日も過ぎて、借り入れ間近の田んぼを横目にC11が行き過ぎます。
学生時代、まとまった休みがあれば、北海道や九州に出向いていたのですが、
会津・只見をはじめ陸羽東線、七尾線、飯山線などもっと撮影したかった。

まあ、その分遠地の写真が撮影できたわけですけれど・・・。

隧道の構図(只見線)  

秋の長雨でしょうか。天気予報は週末まで雨マークが続いています。
それでも気温はなかなか下がりません。蒸機撮影には厭な日々ですね。

得意先のひとつが、リーマンブラザーズ関連会社との取引があったので
心配しましたが、杞憂に終わったようです。
新入社員の初ボーナスが一千万なんて、どうかしてますよね。

今日は昭和49年9月16日の会津横田。今から34年前の今日ですね。
会津・只見・日中線はこの年の秋で無煙化されました。
東京から比較的近場にあたるこの路線、行く機会はたくさんあったのですが、
「できることなら遠くへ行きたい」と、北海道や九州に長期休暇を充てていた
中高生のこと、出かけた回数は少ないんです。
でも、49年は9月の2回の連休と11月の連休に撮影することができました。
勿論、自炊用具とシュラフを持って駅寝の撮影行でしたけど・・・。
隧道の構図
只見線では会津川口―只見は秘境といってもいいくらい、未開の地でした。
この写真では隧道越しの撮影にトライしてます。露出が難しかったです。
カマはC11254。門デフのカマ。そして、ネガのラストにはこんなカットが。
隧道銘盤
高根沢T(トンネル)と記されています。「徒歩2分」の表示がいいですねぇ。
記憶が定かでないときに、こんなカットは嬉しいものです。

定番の水鏡(只見線)  

秋雨の貴重な晴れ間とのことで、一日中、傘がいらない天気でした。
これから週末までの天気予報は雨つづきになってます。厭だなぁ。
土日に出かけるとしたら、雨狙いのプチ俯瞰になってしまうじゃん。

奥多摩で、著名な登山家が熊に襲われて重症、というニュースが流れました。
子連れの母熊は危険ですねぇ。今後の山登りに「ビビリ」の入るくろくまです。
二橋定番
さて、昨日只見をアップした都合上、今日も只見線。それもお立ち台です。
会津西方―会津檜原間の第二橋を下から。昭和49年9月22日の撮影です。
あいにくと無煙ですが、今では写すことのできない貨物列車も味があるでしょ。
滝谷橋から六橋までの間で、撮影したことのある鉄橋は、ここだけでした。
135mmでの撮影ですが、80mmとか105mmが欲しかったですね。
この一泊二日の撮影行、宿は会津塩沢駅だったのでしょうか。勿論自炊でした~。

ダムに消えた村(会津線)  

自民党は衆院選の日程をあきらかにしたようです。下野しちゃうんですかね。
自民党総裁にして首相になれなかった、河野氏が引退を表明されました。

なんてことより、イチローの快挙、おめでとうございます。
このまま、張本勲氏の日本記録更新も今シーズンに行けるかも・・・。
ダムに消えた村
今日の写真は昭和49年のたぶん2月の会津線、桑原―上三寄です。
桑原の名物、給水塔が写っているでしょ。懐かしいなぁ。
無人駅桑原では、記憶の中では数泊していると思います。
49年11月の日中線お別れ運転でも、わざわざ桑原で泊まったような・・・。
只見線の客車運用がなくなってからは、会津線に出向くことが多かったですね。
会津田島、落合、長野にも行ってみたかったなぁ。
今ではこの区間、ダムが建設され水没、会津鉄道として別ルートになりました。

熱塩発車(日中線)  

農水相はいつも厚顔無恥。海洋深層水の自殺したM氏から絆創膏大臣、
その後もろくな人材がなく、恥さらしの太田氏が意味もなく辞任した。
この国の農業、どうなってるの? 無駄な役人と組織は排除して予算削減しろよ!!

セリーグはまさに天王山。男小笠原がやってくれましたね。
なんで、彼が五輪日本の四番バッターでなかったのか、不思議です。
解説の星野は相変わらず、お友達の山本とお仲間解説。腹立つなぁ。
熱塩発車
今日の写真は昭和49年11月4日の日中線。熱塩の発車風景です。
この前日から日中線のお別れ運転が催されていました。
沿線の人だかりもかなりなもので、撮影場所を探すのにも大わらわ。
会津加納でサイド俯瞰した以外は、線路に近い場所からの撮影になっちゃった。
それでも、こんなカットを見つけましたよ~。バックの山並みがいいでしょ。
後補機がわからん、というクレームはなしにしてね。

秋の風景(日中線)  

大阪の個室ビデオ店の惨事、怖いですねぇ。この手の事件が起こると
ネットカフェなんかでも「愚か者」が真似をしそうな感じ。
料金が安いからといってネットカフェなんかで宿泊するのは止めた方がよさそう。
どんどん、厭な時代になってきたなぁと思うのはアタシだけでしょうか。
秋の風景
たかだか一週間で長袖が手放せなくなるなんて・・・。
そんなことから「秋」らしい写真をアップ。昭和49年11月3日の日中線は熱塩。
この連休、日中線では「お別れ運転」で人だかりは、すごいものがありました。
C1164と80が頭を外に向け、わずか5駅のこの区間を3往復しました。
2日間とも撮影したのですが、人出がすごかったので、静かに撮るのに専念。
この写真も終着駅を間近にして煙がないとか、後補機が写っとらん、とかの
ツッコミはなしとして、土の色、空の色が「秋」を感じさせてくれます。
このころは、すっかり俯瞰症だったのですが、登れる場所も限られたもの。
今となっては、それなりに気に入っている写真です。

会津若松機関区夜景  

秋晴れ、真っ青な空が印象的な一日でした。
こういう天気は土日にとっておいてもらいたい。切実に思います。
大井川でC11227が復活したそうですね。
312のボイラーを背負って生まれ変わったとか。長生きしてもらいたいです。
C11つながりで、古いネガを数点スキャンニングしました。ゴミだらけだけど。
10~11月には三往復も多い大井川、悩ましいなぁ。どうしましょう!?
会津若松機関区夜景
昨日の日中線お別れ列車の9カ月前、会津若松の扇形庫のバルブ撮影です。
お尻を向けたC11が5両、写ってます。もっと左にはC58もいました。
日付が昭和49年の2月から3月にかけてなのですが、はっきりしません。
この折はD51は見てなかったと思うけど、結構賑やかな機関区でしたよ。

蒸機たちにもねぐらは必要ですよね。憩うことのできる場所があった時代はいいけど
いま、復活している蒸機たち、淋しいんじゃないかな~、なんて思います。

豊饒の只見路(只見線)  

新聞を見ると、来春に東京駅発着のブルートレインがなくなる、とか
富士通がHDD部門を売却、とか、どうもプラス思考の記事は載りません。
くろくまも疲弊した経済を立て直そうとしたのだけれど、買って来ちゃいました。
「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」。明日は早起き、かな?
豊饒の只見路
昭和49年9月22日の会津横田です。たわわに稲が実っています。
秋の長雨のせいでしょうか、只見川もどんよりと土色をしています。
相変わらずの無煙ですねぇ。今ではこの立ち位置からは見えないようです。
背景の家並みはどれくらい変わっているのでしょうか。

線路端のころ(飯山線)  

天気予報がよくありません。日・月は秋晴れらしいのですが。
セリーグも修羅場と化していますね。現時点では虎が敗けていて兎が勝っています。
ひぐま3号さんも気が気でないでしょうね。更新どころじゃないでしょう。
アタシは明日、早起きしなければいけないので、もうすぐ呑み収めです。
線路端のころ
昭和47年3月29日の飯山線、津南の発車です。下りか上りか定かでありません。
カマはC56111です。このカマって後日、南九州で写したような記憶が・・・。
用いたカメラはキャノネットQL、フィルムはSSSだったのではないかな。
このころはダイヤも不確実で、駅でガリ板刷のSL時刻表をもらったりしてました。
友人3人と中央西線の宮ノ越、薮原、木曽福島で撮影して、旅情庵YHで宿泊。
明知線を撮って保古ノ湖YHに宿泊。飯山線を写してから新津に行って機関区と
新津―京ケ瀬の阿賀野川橋梁で撮影・・・。ってな行程だったようです。
拙い写真ですが載せちゃいます。このころからスカくらっていたようです。

野焼きのころ(日中線)  

両腕が橈骨神経麻痺やら、マウス腱鞘炎やら正体不明の痛みに襲われていて
それを承知の社長が、「これ、使いなさい」って、怪しげな製品をくれました。
ピンク地のサポーターのようなモノで、肘、首回り、脚に効果があるとの説明書。
定価は8,000円近い。よくある遠赤外線商品のようだけど、眉唾ものが多いのね。
それでも「気は心」、ありがたく拝受し、両腕に装着してたけど・・・。
野焼きのころ
昭和49年11月3・4日、日中線お別れ運転を開催、沿線はファンで埋まった。
日中に汽車の走らぬ日中線と言われていたが、通学時間帯に2往復、
その後暗くなってから一往復と、撮影するには効率の悪すぎる路線だった。
くろくまもこれ以前に撮影したのは一回きり。
早朝に上三宮に行き、ひたすら走って乗ってきた列車を撮影して、
喜多方まで徒歩で戻った思い出があります。
当日はC1164号機と80号機が外向きに旧客を挟む形でのさよなら運転。
135mmで全編成を入れようと画策して、会津加納の丘に登った。
のどかで温かい一日だった。ちなみにこの日は会津線桑原駅で宿泊した。
ニコマートFTn、135mm f2.8+PO1filter IlfordFP4 ASA125 Microfine

切り絵(日中線)  


天気予報が当たったようで午後からは雨降り。病み上がりの老父母に会いに
実家に出かけたくろくま。お土産の「会津身不知柿」を忘れてきちゃった。

で、帰宅してテレビをつけると某国営放送でエアロビクスをやっていた。
気になるのは、「常に笑顔で競技する」こと。ハッキリいって気持ち悪い~。
皆さんは、そう思われませんか。真剣に肉体を酷使しながら笑えますか?
ハンマー投げで、投擲の瞬間に室伏選手が笑ったら気持ち悪いでしょ!?
柔道の組み手でニコニコしてたら、相手に「効果」が与えられそう、なんて!!
切り絵
昨日「つづく」にしておいたくせに「つづかない」のがくろくま流。
今日は以前より何度か掲載した昭和49年の日中線のさよなら列車。
後補機がとか、煙がとかは関係なく、人のいない場所で写したかった。
当時、切り絵で著名だったフジシロセイジ氏を意識した。

1974.11/4 熱塩―会津加納
Nikomat FT2、35mm f2、FP4 ASA125、MicroFine 20℃ 9.5分現像

会津若松転車台(会津若松区)  

しまったぁーっ、のんびりしてたら更新の時刻をとっくに過ぎてる。
12月の声を聞いてから、極端に寒くなっちゃいましたね~。
くろくまのような爺ィはともかく、皆さんご自愛くださいね。

年金特別便が2ヶ月もコンテナのなかで眠っていたんですって。12万通ですよ!
小泉時代に民営化が加速した郵政、未配達などサービスのグレードは落ちてます。
わが家でも、送信した方がいらっしゃるのに未読という事態が発生しています。

ところで、米国では国務長官に「オバマ、恥を知れ!!」と絶叫したヒラリーが。
不思議なものですなぁ。

今日は、お得意先との打合せが表参道で11:00。その帰りに早稲田の「えぞ菊」
本店で味噌ラーメンを食べてきました。たぶん10年ぶりくらいです。
いまでも行列ができていたのには驚きです。味? むかしながらでしたよ。
今日はちょっと忙しく、帰宅時刻が遅めだったので、アップ前に酔乱状態。
まともに更新できるかどうか・・・。
と言うわけでいいかげんにアップさせていただきます。
若松転車台
昭和47年8月26日の会津若松(すみません、レタッチしていません)。
C11が転車台に乗ってるのはゆとりがあるんですけど、ここの転車台、
C58やD51も利用してました。私は知りませんが、C57180もここで転車するのかな。
今後、繁忙期にあたりますので、今日のようなヘベレケ状態も多いかと・・・。
すみませんね~。宜しくお付き合いのほど、お頼み申し上げます~。

湖底に沈んだ村(会津線)  

普段の土曜日であれば「秩父詣で」だったのですが、パレオは走りません。
直線距離5キロの実家に出向きました。父が入院中、母は足腰を痛めており
要介護の認定を受けています。なんて話は暗いからやめましょうね。
ホントはEF551こと、ムーミンの上野入りに際して撮影しようと思っていたけど
面倒臭くなって予定変更しただけ。両親とムーミン、どちらが古いかというと
両親でした。自らが歳をとるってことは、親も歳をとるってこと。
昔から「親孝行したいときには親はなし」なんて言いますよね。
蒸機の走らない冬場、時折顔を出そうと思っています。
湖底に沈んだ村
今日のアップは、オールドファンにはお馴染の会津線、第一大川橋梁。
給水塔のあった桑原を出た貨物列車は長いガーター橋を渡り、湯野上へと向かいます。
当時は交通の便のよくない只見線より、人が入っていたような気がします。
この長い橋梁を過ぎると第二、第三大川の橋梁を渡り、湯野上へ。
塔のへつりを越えて弥五島から田島方面へと登り続けます。
この桑原近辺、今ではダムの湖底に沈んでいます。鉄道も迂回したんです。
この無人駅で幾度か自炊したのが懐かしい思い出です。

昭和49年 2~3月ころ。Nikomat FTn。NeopnSSS?。

秋田のギースル(秋田機関区)  

皆さん、寒くなりましたねぇ。朝、布団から出るのがつらいです。
若かりしころは寒さに強かったんですけどね。齢を重ねると億劫になるようです。
秋葉原通り魔事件から半年とか。東金でも悲惨な事件がありました。
あの容疑者の風貌、「いかにも!?」って感じですが、世の中どこかおかしいよね。
「何で?」っていうようなコトが「あたりまえ」のように起こります。
まぁ、今の常識やらモラルだって、鎖国の江戸時代に培われたものらしいし、それ以前の
日本人の感覚では「性」や「家」に関することが驚くほど自由・自然だったとか・・・。
まあ、非常識を公然と実行しつづける「ミゾユウ」のソーリもおられることだし・・・。
秋田のギースルD51
一昨日、会津線第一大川橋梁をアップしたら、偶然にもあべくまさんとご一緒。
ならば、今日はあべくまさんの秋田のギースルD51にコラボしちゃいますか。
昭和46年8月10日の秋田機関区。白光りする美しいD51でした。
ちょうど、あべくまさんが撮影された羽後亀田のカマも457号機ですねぇ。
この他、C6128などもギラギラと輝いていて、保守の良さを垣間見ました。
この日は、初の北海道撮影行からの帰路にあたり、大館でD511と対面した直後。
この後、南九州に渡ることになるC61たちや花輪線・五能線の8620にも遭遇。
そんななか、当時蒸機通だったIくんが「ギーゼルだぁ。珍しいんだぜ」
と、教えてくれたので偶然写したスナップ。
後に夕張線でD51241をはじめ、何機か撮影しましたが、煙の出方が他とちがう
というようなことは視認できませんでした。地味な写真でごめんなさいね。

1971.08.10 秋田機関区
Canon Demi(型番不明)たぶん38mmくらい、NeopanSSS、DP仕上

陸東後姿(陸羽東線)  

実家に行ってきました。家から出ないままで過ごしてきたお正月。
老いた両親。親父はむせていて苦しそう。母は雑煮を作ってくれたのだけど
昔の味ではないんですよ。一所懸命つくってくれたけれど、生煮えだったり
ぬるかったり。親父用の料理は減塩料理なので、昔の味は出ないのかなぁ。
ちょっとだけ、寂しい思いをしました。

早いもので、明後日は出勤日。近くの神社に初詣、と思ったけれど
50人くらい並んでいたので、やめてしまいました。並ぶの嫌いなんですよ。
天気は良好。遥かな山並みもしっかりと見えていました。

陸東後姿(陸羽東線)
画像アップの時間になり、今日も悩み抜きましたが、これにしちゃおう。
季節感がなくってご免なさいね。昭和47年8月24日の陸羽東線、池月です。
先日の498重篤で、急遽真岡のC11が活躍した路線です。
当時も小牛田寄りの客車をC11が引率していましたが、本命はC58の重連でした。
このころは駆け出しの蒸機少年。一眼レフも持っていなかった。
持っていったラジカセには「鶴光のオールナイトニッポン」とその折の広告
「ちょこべえ」が録音されていました。同級生Y君と出向いた小旅行。
その後、米沢機関区に立ち寄り、長井線を撮影しY君と別れ、会津線を撮影しました。
ネガカラーとバカチョンでの撮影。懐かしいなぁ。

1972.8.24 陸羽東線 池月―川渡
CanonetQL(型番不明)35(38?)mm f3.5 KODACOLOR-X ASA80
COOLSCAN5000EDでスキャン 画像処理 Photoshop CS2

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