くろくまと蒸機たち

懐かしい蒸気機関車と復活蒸機写真との怪しげな融合。

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煙はるかに  

恵比島の後補機

はじめて渡道したのは、46年の夏でした。あこがれの冬の北海道は48年3月。
雪のなかの蒸機に初めて接したことは、人生が変わったかのよう・・・。
もっとも、このときはニセコもなくなっていましたが、D52、D61は未だ健在。
D61は4号機のみ、D52も殆どは廃車になって五稜郭にありましたが。
そのD61を求めて留萠本線にやってきました。まさか後日「明日萌」となって、
復活蒸機が走ることになるとは想像だにしませんでしたが・・・。

さて、これはD51+D51ですが、蒸機素人のわたしには、編成の長さやレンズの
画角が「想定外」で、後追いでギリギリ編成を入れることができたのです。
稚拙な写真ですが、それなりの思い入れがありますので、アップしました。

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塩狩峠をめざす  

ここ、何日か東京は寒いです。
今日は、東久留米の「お風呂の王様」に行ってきました。
幾種類かの風呂のうち、「不感温度風呂」というのがありまして、
体温くらいのブクブク風呂です。
不感→ふかん→俯瞰・・・。気持ちよく浸からせていただきました。

塩狩をめざすC5550

48年12月30日の和寒で写した324レです。牽引機はC5550です。
当時宗谷本線のC55の運用は旭川―稚内に一往復。
旭川―名寄で一往復運行されていました。
問寒別や雄信内など、後に考えると行きたいところ数知れずですが、
画面右上の三角山から写したかったことしきりでした。
旧客っていいですなぁ。

雪の椎名町  

雪の椎名町

いやぁ、大雪、一日中降ってました。くろくまは完全に冬眠状態になりました。
東京在住の方々は、カメラを持って傑作をモノにされた方も多いのでは?

昼飯をとりに最寄り駅、椎名町に向うとき、一応カメラを持っていったのですが
5枚ほどシャッターを切って、逃げるようにそば屋に入ってしまいました。
来店するお客さんたちは、一様に「鍋焼きうどん」を注文していました。

雪の寒さと鍋焼きうどんには関連性があるのでしょうか。
そういえば渡道の際、青函連絡船の待合で、350円の鍋焼きうどんを
幾度食したことでしょうか。

明日で最期、閑かに撮りたい  

昭和50年12月23日の十三里付近です。
夕張線で誰も好んで行かないような場所、それは十三里でした。
逆光だし川霧がたつので撮影は難しいものでしたが、蒸機終焉の秒読み段階で
この地を訪れたのは正解だと思います。
十三里をいく下りのD51

この撮影行では、
8ミリを携行していたため、写真がおろそかになりがちでした。
この日、十三里(無人駅)で泊まろうと準備をしていたら、
最終列車で下車された地元のKさんが、「凍えて死ぬぞ。ウチに泊まれ」と
仰ってくださり、石狩鍋(煮込まれていてグチャグチャでしたが美味)、
温かい布団(お客様用でしょうか、フカフカでした)を提供してくださいました。
蒸機終焉で感傷的になっていた折に触れた人情に今でも泪がこぼれてきます。

オホーツクとキューロク  

ブログ開設以来、ひと月が経ちました。おおーっ!! 毎日更新されてる!!

遥かなる流氷

興浜北線の有名撮影地は、斜内―目梨泊の(シマシマ)灯台をからめた場所です。
蒸機が判別できない方は、画像をクリックしてくださいね。真ん中にいますよ。

わたしたちは北見枝幸を見下ろす高台で撮影しました。(この画面には
北見枝幸駅は移っていませんが・・・)バックはオホーツク海。
海の右奥、白っぽくなっているところには、流氷が群がっています。

撮影日は50年3月24日ですが、この当時は2月下旬から4月上旬くらいに
流氷が接岸することが多かったと思います。風向きやその強さで
一晩で接岸したり、離岸したりを繰り返します。
湧網線で撮影した流氷は、陸地との境がわからないくらい一体化していましたっけ。

セキを牽いて  

東京は、またしても雪。数年前に買っておいたはずの長靴が見つかりません!!
東追分を行くセキ

49年12月25日(クリスマスですね!!)の東追分です。
この駅は無人駅で辺りは原野です。人も来ないし結構好きな場所でした。
なにしろここは高台などはなく、俯瞰など不可能な場所です。
でも、枯れた雰囲気がお気に入りで幾度か通いました。
このときの引率機はD5170、ナメクジくんだと思います。

この足跡はだあれ?  

この足跡はだあれ?

48年12月26日の湧網線、計呂地での後追いです。
線路内をわがもの顔で闊歩したのは誰でしょうか。野うさぎ、それとも野ねずみ?
はじめての湧網線、北海道のローカル線のキューロク、満喫しました。

雪国でよく見かけた足跡、どなたか解説していただければ・・・と存じます。

遠軽の朝  

週末は雪になるという天気予想がでていますが、
真岡に向かう奇特な方、いらっしゃいますか?

遠軽ヤード

49年12月26日の遠軽です。左手に特徴のある崖が写っていますね。
ここは、大雪5号に乗って未明に乗り換える駅でしたね。
名寄本線や湧網線に行くときには、幾度となく利用しました。
夜が明けてくると、キューロクの仕業が活発になりました。

ちなみに、遠軽の駅弁「かにめし」と長万部の「かにめし」は瓜二つでした。

真岡線、きちゃった!!  

今朝、6時に目を覚ましてPCを立ち上げ、駅すぱーとで池袋→茂木を検索すると、
7:30の湘南新宿ラインに乗れば撮影に間に合うことが解りました。

天気予想は「午後から雪」で、先週の雪の日、ひぐま3号さんたちが
出撃されたことが頭のなかにあったのでしょう。出かけてしまいました。
茂木のC11

下りは益子で撮影、天候が悪化して空がどんよりと暗くなってきたので
なるべく早い時刻に上りを写そうと、茂木に足を延ばしました。

13:30頃から雪がチラつきはじめましたが、蒸機が来るときは止んでいました。
それでも先週の雪がところどころ残っており、ちょっとした冬景色に・・・。
でも、とっても暗くて感度をASA640まで上げなければなりませんでした。
デジタルって便利ですね!!

「道の駅」で買ったを無造作にバッグに入れておいたら、丘から降りたら
カメラ、望遠レンズ、シリコンクロスがジャムのようになっちまったぜ!!

上砂川にて  

昨日来の降雪も止み、暖かな一日でした。
房総で擦り傷だらけになったカメラの液晶プロテクタを買ってきました。
上砂川にて

昨日、茂木に入った折、もし雪景色なら・・・と思い、この写真をアップします。
終着駅を目前にしたD511127の牽くセキです。夕張線とは趣が異なりますが
この辺りの住宅も炭住です。D51は構内の仕業を終えた後、満載の貨物を牽いて
山を下って行きます。
こんな短い盲腸線・・・、線名も函館本線の支線です。
生きている(仕事をしている)蒸機っていいもんですね。

茂木駅発車の光景も雪が降ればこんな感じに撮れないでしょうか。
ちなみに50年3月25日に撮影しました。

置戸の朝  

今日も東京は暖かでした。明朝は雪との天気予想がでていますが・・・
1992レ、釧北峠へ向う

足寄の写真をアップしたところ、ブログ拍手で池北線のリクエストを戴きました。

50年3月18日の置戸駅周辺です。予定では釧北峠を狙っていたのですが、
あいにくと雪が降り始めてしまい、峠での撮影を断念しました。
長駆池田までの1992レを牽いているのは、大好きなキューロク。
勇足、仙美里と、この日は池北線を満喫しました。

第三セクターに業務委託後、ついに廃線に至ったローカル線でしたが、
石北本線が通じるまでは北見(野付牛)、網走への幹線でした。

給水塔のもとに佇む  

3連休の間、呑みすぎたので今日は赤ワイン。アルカリ性で中和しなくちゃ!!
帯広の廃車体

50年12月26日、最期の貨物6788レから2日後に帯広を訪れました。
思い入れの強かった士幌線を十勝三股まで往復した夜、
機関区にキューロクがいるのに気づき、すっとんで行きました。
そこには、59683と59672がひっそりと眠りについていました。
給水塔もターンテーブルも昔のまま。クラにはDD51が居座っていました。
両機とも車籍票は外され、59672に到ってはプレートもなく手書きでした。

凍れる台地  

今日の東京は目茶寒かったです。
4月の甲府―塩山のダイヤと地図をにらめっこしていて、
駄目だこりゃ!!」ってな感じ。せっかくの3往復も光線は悪いし勾配はないし・・・。さてと、どうしたものかしら。
北愛国を行く

49年12月27日の北愛国付近です。広尾線の中札内くらいから
帯広を経て士幌線の上士幌あたりまで、同じような光景が続きます。
雪は降っても風があって積もることはありません。
畑地と防雪(風)林が延々と続いていました。

このあたりの解説は、きっとひぐま3号さんが現われて語ってくれると思います。

寒村の汽笛  

日中の気温は幾分あがってきたけど、風が冷たくて北関東にいるみたいな一日でした。
幌加発車

十勝地方が続いてしまいますが、50年3月20日の士幌線、幌加です。
日本二百名山の秀峰ニペソツに登る人たちの登山口、一軒宿幌加温泉くらいしか
名のあるものはありません。ローカル士幌線のなかでも一番寂れた駅でした。

右手の棒はキロポスト。降雪の際、見えなくならないように継ぎ足してあります。
いま、帯広へ向けて臨貨が出発していきます。

この後、ひと月も持たず士幌線は無煙化されました。

紅葉山展望  

三寒四温というのですか、昼食後の公園で文庫本を読んでいたとき、
寒くはないな、と感じました。春も近いかも・・・。
夕張を目指す

50年4月1日の夕張線、紅葉山(現新夕張)での撮影です。
紅葉山を出発した貨物は大きく左にカーブして夕張を目指します。
手前に見えるのは共同住宅の炭住でしょうか。
右手下方に行けば登川、そういえば「紅葉山→楓」の切符が手元に残っています。

第四音更川橋梁  

練馬区役所の20階、展望スペースから富士山を望みました。
冬晴れで風が強かったので、見えると思って出かけてみました。
第四音更川橋梁を行く

拙ブログの5枚目の写真の前カットです。
50年3月20日の糠平―幌加の第四音更川橋梁を行くキューロクです。
ちなみに一昨日のカットは、この貨物の折り返しです。

士幌線は撮影効率の悪いローカル線でしたので、
この橋と蒸機の写真を見たことがありません。
所謂、廃線跡走査ブームで撮影された方はいらっしゃいますが、
すでに撤去されています。
士幌線といえばコンクリートアーチ橋のイメージがありますが、
この区間は人造の糠平湖ができることから迂回した新線ですので、
ガーダー橋になっています。
あのローマ遺跡のようなタウシュベツ橋梁はすぐ近くにあります。

春の秩父路  

近くの神社で梅の花が咲きはじめていました。
毎年通っている吉野梅郷、顔振峠、今年はいつ出かけようかな。
春の秩父路

2000年4月23日の秩父鉄道です。
撮影時刻に雲がかかってしまい残念でしたが、秩父は山里なのだと感じる1枚。
息子と出かけた最後の秩父鉄道でした。

38年前の秩父鉄道  

マシントラブルによる空白の3日間が生じてしまいました。
愛機PowerbookG4の100GB内蔵HDDが逝かれたようです。
本日、160GBのHDDを購入し、本体のHDDと入れ替えました。
DTPで生計をたてているくろくまにとって、最悪の状態。
アプリの再インストールやら各種設定の処理を思うとたまらんぜ!!
今も外付けHDDから起動している有様。完全復旧までは半月でしょうか。
先日の房総も真岡もデータ消失です。トホホ
秩父鉄道38年前

昭和45年8月、くろくまが初めて蒸機を寄居で写した折りのワンカットです。
どこの駅かは定かでありませんが、運ちゃんが休息ででかけた折のカットでしょう。
凸電も昔はよく見かけたものですが・・・

PC環境復旧のため、しばし更新がままならないと存じます。
申し訳ございません。悪しからず!!

煙たなびく  

春一番ですか、すごい風でしたね。
広尾のキューロク

昭和50年3月19日、広尾線、広尾-新生のキューロクです。
くろくまは、この空の色が大好きです。鉛色の海も大好き。
このころ、夕張や室蘭本線、幌内線ではファンが群がり、撮影地となると
怒号が飛び交っていました。おかげさまで広尾、士幌、池北などで
存分に蒸機を味わうことができたのですが・・・。

チョコレート色  

お陰さまでシステムの修復はおよそ8割ほど完了です。
が、失われたデジ画像は戻ってきません。
房総、真岡と未だupしていない画像もあったのに・・・。残念です!!
しかし、パスワード、S/Nはともかく、インストールのための儀式にはうんざり。
不正使用者がいなければ、こんな無駄はないだろうに・・・。
荷物電車

今日の画像は、昭和47年10月14日の京浜東北線、蒲田付近の荷物電車。
この日は鉄道100年記念のC577による蒸機運転が行われ、沿線は黒山の人だかりでした。
今にして思うに、こんな都市の幹線のレールサイドに入って撮影できたのですから
信じられない時代の変化を感じますね。数百人はいましたよ。
この後、甲州、只見、磐西、新潟などでイベントがありますが、どうしましょうかね。
置き脚のあるようなところは厭だし、撮影の後においしい酒が呑めるのが一番。
甲府に一回、あとは秩父。只見は微妙というところかな。


春の秩父路2  

フルハムロードなんて、妙に懐かしい名が再登場しています。
当時から限りなくクロに近いといわれていたM氏はどうなることやら。
もう60歳なんですね!!
春の秩父路2

先日の同名の写真の次カットです。ちょっと引いてみました。
現役当時はできなかったズーミングによる画角変更です。
思えば便利になったもの、フィルム代も現像費用もかからない・・・。
コマごとに感度が変えられる。現像失敗も基本的にはあり得ない。
色温度も気にする必要なし。
でもね、HDDはかならず死ぬものなのですよ。皆さんも要注意!!

遊園地西駅?  

PCの修復、殆どおわりです。アプリの再インストール、QuarkXPress6.51のインストールが手間取りました。
もちろん、データは修復しようがありませんでしたが・・・。
koppel-2さんが西武山口線のはなしをしておられましたので、今回は予定変更。
西武山口線のコッペル

わずか2.8キロの路線です。いまでも健在。ユネスコ村(西武球場前)から
西武遊園地まで東中峯信号場(エラソー!!)遊園地西駅を経てトコトコ走っていました。
頸城の2号機が先で、井笠の1号機があと。牽く客車も井笠から取り寄せました。
子どものころ、「おとぎ列車」の名で親しんでいたのですが・・・。
この写真は48年6月3日、考えてみれば、まだ現役蒸機の時代です。.

な~んにもない雪原  

朝の冷え込みはやわらいだような気がするのですが、風があるとやはり寒い。
もう2月も終わりだというのに・・・。
2月、6月って現役蒸機撮ってないような・・・。

キューロク奮闘

青い空と白い大地、な~んにもないところをキューロクが走り抜けます。
50年3月14日(ホワイトデー?)の渚滑線、十六号線付近です。
この撮影行では、なにを思ったか渡道するや否や、まっすぐに渚滑線にきています。
この線も超ローカル線、くろくまの心が疼くわけです。
終着駅の北見滝の上まで乗ってから、折り返してきて、ここで下車。
ちなみに十六号線の名の由来は、踏切をわたる狭い農道が16号線ってだけ。
乗降場の名前はストレートでしたね。

当時の撮影模様  

暖かくなってきたので、昼食は公園で海苔弁でした。
弁当屋、ご飯だけあったかくて具がつめたいのは許せん!!
おまけにソースしか入っていないのは問題だ。醤油を入れろ!!
撮影風景

50年3月15日、栗丘での撮影環境です。三脚はスリックのマスター、
ステーがついてるからデラックスですね。
パン棒の先のにぎりが木製の球体、ヨドバシのオリジナルでしょうか。
プレートの上には二コマートFTnとニコンF、脚につけたロアーには
自由雲台とキャノンのレンジファインダー。
二コマートとキャノンにはWケーブルレリーズがついてます。
で、これを撮影しているのは二コマートFTn、135ミリレンズです。
フィルムもTRI-X、KII、Minicopy、イルフォードFP4など分けてました。
これら機材と自炊用具、着替え、食料・・・、
55キロの荷物は今ではとても背負えません。

ちなみに最近の撮影は、デジ一眼一台、軽量三脚一脚、それだけです。

炭坑への驀進  

4年に1度の2/29。春の訪れが間近いような陽気でしたね。
明日は石神井公園に行って、ひと足早い春の息吹でも感じてこようかな。
炭坑へ向かう単機

49年12月23日の夕張線、鹿ノ谷―清水沢でのD511119です。
紅葉山と夕張のあいだでは、上りの単機がたくさん(8本くらい)走っていました。
単機なのにこの煙、すごいですね。早く炭坑(ヤマ)へ行ってセキを牽いてこなきゃ。
そんな気持ちが出ているのですかねぇ。
青空と雪と樹林の影、お気楽撮影も結構いいかも・・・。

ご訪問に感謝します!

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