くろくまと蒸機たち

懐かしい蒸気機関車と復活蒸機写真との怪しげな融合。

川遊びとパレオ  

昨日の低温はなんだったのか、というような暑~い一日になりましたね。
秩父でお気楽に写して、あとは散歩とロケハンのつもりで出かけましたが、
昨日までの雨のおかげで、大気中のダストが洗い流されたようで視界良好。
武甲山もしっかりみえたので、予定外の行動に出ることにしました。
予定していたのは武州日野~中川の荒川を挟んでの丘だったのですけど、
以前から地形図で「抜ければ写せる」と思っていた場所に挑戦しました。
定番橋梁(ウラ)
H20.0601上長瀞―親鼻 NIkonD300 VR70-300f4.5-5.6G 300ミリで撮影

それがこの写真。気温も高いのでスカは予想の範囲です。
が、VR70~300の描写はとても満足のできるものではありません。
このポイントは秋口に再度トライしてみようと思います。

いやぁーっ、暑くて暑くて黒のTシャツに真っ白な塩が吹いてしまいました。
たるんだお腹の上に真横に白いスジがついてしまい、情けない思いをしてしました。

サロマ湖の傍らを  

東京も入梅が宣言されたようです。まあ、週末に晴れてくれればいいのですが。
最近のキューロクシリーズが好評のようですので、今日もその類いです。

サロマ湖の傍らをいく

昭和49年12月24日の湧網線、浜床丹での光景です。この日も貨物が少ないですね。
ちょうど、この日の一年後、夕張線で最後の蒸機貨物が運行されました。
浜床丹は乗降場で、計呂地と床丹のあいだにありました。
琵琶湖、霞ヶ浦についで、広さを誇るサロマ湖の西側に位置します。
この線区ももっと撮っておきたかった風光明媚のロングローカルでした。

サロマ湖畔を行く  

寒~いですね。迂闊に衣替えなんかしたら凍死しそうです(嘘)
仕事のほうはヒマでしたので、いろんなブログ見たり投稿してました。

さて、今日のアップは、と考えたときにひぐま3号さんのブログを見たら
拙ブログの湧網線にコラボっておられるじゃありませんか。
くろくまも急遽予定変更で、サロマ湖バックのカラーをアップしちゃいますね。

サロマ湖畔を行く

画像は昨日の貨物撮影のあとの上り貨物です(49.12.24)。
こちらも荷は少ないようですが、急勾配のため白煙が出てますね。
背景は勿論サロマ湖です。
蒸機終焉の後、キューロクの舞台が次々に廃線になってしまいました。

もうすぐ運行される常紋のカマ、本務機D51、後補機キューロクなんてことなら
出かけちゃうかも・・・。

とるねえど  

えーと、タイムオーバーになってしまいました。
現役蒸機のコーナーでは、レタッチの関係上、極めて厳しいのですが、
酔いがそれを更に加速します。

和寒発車

今回は宗谷本線、48年12月30日です。和寒発車の光景。
夕刻になって、旭川目指してD51の貨物が発車します。
その折の煙がすごかった。
あえて、今風デジ作家風の表現でトルネードとしました。
35分遅れのアップです。ごめんなさい。

キューロク、客車を牽く  

会社のエアコンを「ドライ」にしていると、少し寒くなってきて、電源を切ると
ムシムシしてくる。梅雨、絶頂ですなぁ。気温の上下は身に堪えますぜぇ。
今日のアップは、最近のデジをテキトーに出しちゃおうと思っていたのですが、
新たなお客さまもいらっしゃるので、現役キューロクをアップします。
唐津線峠越えのキューロク

トコトコ走る北のキューロクとちがい、北九州のキューロクは汗だくで稼働。
べつに業務に差があるわけではないけど、煤だらけで小回りの利くキューロクは
炭坑のシンボルでした(イメージの問題ですけどね)。
そんななか、ここ唐津線はちょっと例外。炭坑とは離れていて、客レも残存。
デフなしの59681が峠に挑んでいます。
西九州は大村線、佐世保線など大型蒸機が先頃まで頑張っていた路線。
くろくま、残念に思うのが九州の五能線ともいえる松浦線を写せなかったこと。
写真は昭和48年8月21日の厳木―多久。
くろくまは客車のことが分かりませんが、デッキの部分が見事に抜けてること、
座席の区画ごとに鋲が打たれているこの旧客、好きですねえ。

唐津線、貨物  

梅雨の晴れ間、というよりどんよりと晴れた一日でした。
今日も酔いどれ、やっとぎりぎりでアップです。
唐津線の門デフ

さて、今日は昨日の厳木―多久での貨物。門デフのキューロクが牽きます。
昨日と違うのは、デフだけでなく、ランボードをご覧いただければ
お分かりのように、給水温め器の位置、そしてテンダのスタイルです。
いずれにしても、サイド、後追いはキューロクの姿がより美しく輝く瞬間でした。
唐津線、厳木―多久。昭和48年8月21日。ニコマートFTn、135ミリf2.8

横瀬川橋梁俯瞰(失敗)  

明日、日曜日の天気が悪そうなので、晴れてるうちに秩父にお出かけ。
これまた、いつものように紫外線、ガス、薄曇りに高温。おれは稲じゃないぞ!!
山道を歩いていると、「見っけ!!」。木耳ですね。高さ50センチはあります。
木耳01

裏を覗くと・・・、やはり木耳です。
木耳02

先週、横瀬川の橋梁(未だ撮影していません)を俯瞰しようとして轟沈したもので、
今日こそは、と登りに登りました。撮影場所にはこんなヤツもやってきました。
蝶? ガ? どなたかご教授を。
が

陽が差したり翳ったり。本命のはずだったのですが、条件最悪、コントラスト不足。
勿論、煙もありません。一応、撮った、ってだけになっちゃった。
空気の澄む秋口に再度トライするしかありませんね(こればっかり)。
横瀬川橋梁

下山して、皆野の駅の近くのスーパーでビールを買って、つまみにキュウリの
ぬか漬け(2本130円)を買って、洗って食べるんです、と店の方に言ったら、
「食べやすいように切ってきますよ」ですって。
ビールとキュウリ

帰路の快速急行でおいしいビールが楽しめました。

キューロクの白煙(広尾線)  

天候が不安定な日曜日。自宅で酒呑んでゴロゴロしてました。
これじゃ、メタボ促進委員会から表彰されそうですね。
さてさて、大好きなキューロクを追って九州まで行ってしまいましたが、
今日は広尾線のキューロクです。昭和50年1月1日、大樹での撮影。
この日も貨物は少なかったようです。
大樹の白煙

このような日常、夢の中でもいいから会ってみたいものです。

一週間前のリベンジ  

日中は不快指数100%てな感じでムシムシしてました。
帰宅の際は、雷鳴がとどろき「梅雨入り」を実感しました。雷鳴は梅雨の「入り」と
「明け」の必需品です。土日が晴れるように祈っているくろくまです。
荒川を渡る(秩父鉄道)
さて、今日は先週失敗した親鼻橋の裏画像のリベンジ版です。
70-300VRにPLフィルターをかませた画像が酷かったので、80-200にリアコン
かませての再トライです。若干ですが煙もあり、「それなり」かな~と思います。
ここでの撮影の後、さらなる高みに行ったら、いつものガス状態。
コントラストのない平板な写真しか撮れませんでした。
H20.6.7 上長瀞―親鼻 80-200f2.8+(×2)

へへっ。また遅刻。今度は77分のタイムオーバー。
贔屓の西口投手の対G勝利投手、ということでお許しを(何のこっちゃ!?)。

キューロク驀進(名寄本線)  

梅雨の晴れ間でしたね。衣服も昼飯も天候でずいぶんと変わります。
晴れたら半袖のポロシャツ。昼食も「冷やし中華」とか「冷やしたぬきうどん」。
雨が降ると気温がグッと下がり、ワイシャツにベスト。昼食もみそラーメンや
カツ丼になってしまいます。

ここのところ、K点越えの更新をしてズルしてましたが、一念発起(どうだか?)。
ちゃんと本日内アップを心がけます(←怪しいもんだ)。

キューロク驀進

昭和50年3月14日の名寄本線、渚滑です。川向(乗)とのあいだにある、橋梁の
手前、39626がたくましく力走しています。
このところ、風景に溶け込むようなトコトコ走るキューロクをアップしていましたが
力強いところも見せておかないと・・・。
大した勾配でもないオホーツク沿岸で一所懸命。迫力だってD51たちに負けません。

なんか、キューロクから離れられなくなっちゃってますね。好きだからいいかな~?

霞む山村(秩父鉄道)  

秋葉原の惨事、時期を失した野党の動き、お役所帰宅の居酒屋タクシー。
世の中狂ってますね。湿度の高い今日みたいな日にはイライラも最高潮です。
霞む山村(秩父鉄道)

今日は、過去ネタの続きカットで恐縮ですが5月18日の後カットです。
俯瞰撮影といっても、無理矢理望遠で引きつけるのは本来はご法度。
ゆとりのある焦点距離で、と思うのはくろくまだけではありますまい。
されど、です。昨今の鉄道沿線、建造物が多くてなかなか絵になりませんよね。
パチンコ店、マンション、大型工場などがなければ、それなりの場所ってありです。
今日は、そんな白久から三峰口の集落をデジ70ミリの視点で提供です。

手抜きですって!! くろくま、慎んで甘受いたしますです。

湿原の混合列車(釧網線)  

交流戦で虎に3連敗のわが獅子軍団。広岡さんや森さん、伊東さんからみたら
トンデモ野球でしょうね。気儘で豪快な打撃は太平洋クラブライオンズ以来かも。
でも、あのときは職人がたくさん居たような気がします。
選手が大味で小粒になっているように感じるのは、くろくまだけでしょうか。
でも、今日こそはイタダキです。虎には昭和50年の借りがありますからね。
湿原の混合列車

昭和49年1月4日の標茶―磯分内での撮影です。TRI-Xの画像をスキャンすると
素粒子の映像のようになってしまいます(SSSよりよっぽどましだけど)。
C58331の牽く混合列車が行きます。4両編成をC58が牽くのはパレオと一緒ですね。
釧網線の撮影地といえば、遠矢―塘路、川湯―緑、北浜―浜小清水でしたね。
くろくまが写したのは、この標茶と細岡だけでした。

秩父鉄道さんにも旧客に戻していただいて、冬場も営業していただきたいですね。

針葉樹の見える駅(秩父鉄道)  

どこのブログでも書いてるんでしょうね。「暑い一日でしたね~」って。
半袖のポロシャツで出勤すると、おなかがポッコリ。厭だなメタボって。
そういえば、明日は地下鉄副都心線の開通ですね。山手線が空くから良しかな。
針葉樹の見える駅

3月29日、三峰口で山を登りすぎて蒸機の時刻が迫り、いそいで駆け降りてきて
「撮り逃したか!?」と思ったけれど間に合った、ということがありました。
「写せてよかった」と安心してしまい、返しの5002レで大失敗と記しましたが、
その画像をずーずーしくアップしちゃいます(ネタが尽きたか!! くろくま)。
返しの三峰口発の時刻を勘違いしていて、登ろうと思っていた場所に着く前に
汽笛が聞こえてきたのです。なんせ車道を歩いていたものですから、パニック。
三脚をかなぐり捨て、線路の見える場所まで走り、手持ちで撮影。
枝打ちされた針葉樹の幹が垂直にならんでいて美しいですね。
電線が入っちゃたり、駅が木の影になっちゃいましたがお許しあれ。
平成20年3月29日白久。80-200f2.8、80ミリで撮影。

明日も暑いそうです。日曜日は晴れるけど気温は低めとか。どーする、くろくま。

C57の構図(室蘭本線)  

TVをつけると、どのチャンネルも岩手宮城内陸地震の放送でした。
被災された方、救助に尽力されている方にこころよりエールを送りたいと思います。

くろくまは、天気予報が「暑くなる」というので、今日はお休み。出撃なしです。
そろそろ夏眠の季節到来ですね。過去ネタでブログが持つのかが心配です。
C57の構図

昭和48年12月27日の栗丘です。カマは超有名機C57135です。
この角度から見ても貴婦人ぶりがうかがえますね。マニの鉄格子が懐かしいなぁ。

雪面の多くの足跡はファンが撮影地点に向かったものと逡巡したもの。
何万人ものファンが訪れたこの地、皆さんのなかの栗丘は今でも息づいていますか。

主のいない公園で(室蘭本線)  

天気予報の天候、気温からいっても今日は撮影好適日。でも、何か気乗りしません。
朝、4時に起きたのだけれど「行くぞ」って気が沸かなくって。
で、遅まきながら衣替えを敢行しました。
長年探していた、長靴とTENBAのバッグを発見。得した気分になりました。
主のいない公園で

昨日に引き続いて、栗丘。昭和50年3月15日に撮影しました。
いつもは栗山寄りの築堤方面に赴くのですが、幾度も訪れると「ちょっと違う」
写真が撮りたくなります。栗沢方面に足を向けると牧場があって、小高い場所には
児童遊園がありました。雪のない季節には、この公園のシーソーで遊びながら
「あっ、蒸気機関車!!」といった子どもたちの歓声が聞こえていたのでしょうか。
客レを牽くD51重連。ゆとりの牽引なのにこの煙。
公園の子どもたちからのレクイエムに思えてしまいました。

長大なセキを牽いて(歌志内線)  

休養十分のはずの月曜日なのですが、身体がだるい状態。
身体を使わずに酒呑みキリギリス状態だったのがいけなかったのでしょうね。
ともあれ、気温が乱高下します。年寄りは気温に弱いと言っていたくろくまも
そろそろ、自分が言われる立場が近づいてるのかもしれませんね(弱気モード)。
長大なセキを牽いて

歌志内線の焼山―文珠での撮影。昭和49年12月26日の映像です。
ブログをご覧の方のなかには、当時の石炭列車をご存知ない方も多いと思います。
この画像をご覧ください。D51が一両でセキを数十両牽いています。
このセキに石炭を満載して炭坑(ヤマ)を降りてくる。
これを毎日繰り返していたのです。夕張線、歌志内線、上砂川線(函館本線支線)、
万字線、幌内線、根室本線(滝川―芦別)、室蘭本線などで見られました。
重いセキを牽くのは復活蒸機には厳しい条件ですが、あの広大勇壮な光景に
思いを馳せてしまうくろくまでした。

長大なセキ/夏(室蘭本線)  

昼過ぎになると湿度は高く暑苦しいのですが、朝夕は結構ひんやりします。
週末には晴れてもらいたいのですが、いまのところ雨の予報がでています。
まあ、天気予報もころころと変わりますから、どうなることやら。
長大なセキ/夏

昨日の冬のセキに続いて夏のセキをアップ。昭和50年7月31日の撮影です。
先日アップしたC57の客レと同じ場所からのショット。
遠くにみえる駅は登別です。撮影地点から1キロ弱。
で、画像をご覧ください。セキの最後尾は駅にかかっているではありませんか。
少なくとも7、800メートルの編成をD51が単独で楽々と牽いているのです。
空身とはいえ、すごいパワーだと思いませんか。

ふと、冬場のセキの発車の音を思い出してしまいました。
発車と同時に、弛緩していた各連結個所が急激な力で引っ張られ、
鋼鉄を打ち合う音が、ガーンと大音声で鳴り響きます。その音が輪唱のように
連結器の数だけ繰り返されるのです。
凍てついた線路のうえで奏でられたシンフォニー、忘れることができません。

セキの氷柱(夕張鉄道)  

梅雨の晴れ間は今日まで、といわれていたけど、さすがに蒸しますね。
100円ショップで保冷シートを買ってきました。
これで、高みで冷えたビールが呑めるのでしょうか。
セキの氷柱

セキのはなしが続いてしまったので、何をアップしようか迷いましたが、
セキの力強さを間近に感じた昭和48年12月25日の夕張鉄道、平和をアップします。
国鉄鹿ノ谷から若菜を経て、大カーブを通り平和にやってきます。
ここから見ると平和炭鉱はスロープの下、目線が切れるほど急勾配がよくわかります。
石炭満載のセキは国鉄夕張線を経て追分、室蘭へと坂を下っていきます。
セキといえば、道央。その他は北九州。
D51だけでなく、キューロクも主役の座にあったことをお伝えします。

筑豊の古武者(筑豊本線)  

天気予報では午後から雨のはずだったのですが・・・。でも、蒸しましたね。
出社して、昨日のアップ画像を見たらカビだらけ。レタッチが中途半端でしたね。
そのうち、再度レタッチして差し替えます。
筑豊の古武者

今日はセキではなく、ハチロクの写真。筑豊は折尾駅にたたずむ光景です。
昭和48年8月20日。香月から若松へ向かう124レでしょうか。客レです。
このハチロク、ボイラー開閉の時計型ノブとテンダのプレートが形式入り。
筋金入りの古強者です。なぜか山手線に闊歩していたEF13や15を思い出します。
折尾は、北海道における植苗(千歳線の蒸機が健在だったころ)のようなところ。
立体交差の駅や非電化複々線など、よくばり鉄の集積地でした。

最期の対面(追分機関区)  

降りそうで降らない、湿度も温度も高い、じとーっとして厭な天候です。
この週末も降るんだか降らないんだかわかりませんね。
二週間メタボ状態のくろくま、雨予報のなか出かけちゃおうかな?
最期の対面

昭和50年12月27日の追分。くろくまが最後に写したカットからの1枚です。
機関区の転車台の向こうにD51241、1086、603が並んでいます。
24日の最終運転からまだ3日、有火状態のようです。
美しかった603の右にはDD51が入っていました。
職員が1086の方に歩いています。彼の左手は完全に指差状態です。
1086に語りかけていたのでしょうか。「転車台に行け」って。

この翌年、この日から半年も経たないうちに追分機関区は火事に見舞われて
D51もDD51も燃え尽きてしまいました。51年4月13日のことでした。

緑の石狩平野(室蘭本線)  

天気予報は「雨」。降水確率90%。でもね、二週間おとなしくしてたら、身体が。
雨の土曜日なら「お立ち台」もいいかなっ、と浦山口に行ってきました。
駅の近くのコンビニでラガービール3本と海苔弁を買って撮影場所へ。

霧の中に景色が見え隠れする予想通りの風景に「水墨画」を期待するくろくま。
時間もあるので呑んでました。で、浦山口通過12:28を12:48と勘違いしてまして
三脚にカメラをセットしたときには、ファインダーのなかにすでに獲物が・・・。

運が悪いことには、80-200にリアコンかました状態。これじゃでかすぎる、と
ひいたらピントも移動。なんせ、この組み合わせはマニュアルなもので・・・。
落胆して「返し」の場所さがしをしたのですが、見つからず。

ピンボケと駄作を持ち帰り、ションボリです。
緑の石狩平野
そんな訳で急遽、過去モノからの放出ですみませんです。
昭和50年7月30日の栗丘―栗沢でのD51牽引貨物列車をアップ。
栗丘っていうと上下線が分かれた築堤というイメージが強いと思いますが、
こんな「グリーンだよ!!」の世界も広がっていましたよ。
滅多にやらない流し撮り、う~ん、これも止ってないですねぇ。

湾曲するオホーツク(興浜北線)  

夕刻になって降ってきました。昨日のように日中は撮影可能だったのでは?
前から気になっていたデジイチのファインダー画像の視認性の悪さですが、
マグニファイヤーは使い勝手が悪そうなので、マグニファイングアイピースの
導入を検討中です。わずか×1.17倍ですが、頼もしそうです。
本来ならファインダー交換式にして・・・なんていうと高くなりそう!?

湾曲するオホーツク

現役蒸機の掲載が続いておりますが、たまには俯瞰を入れないといけませんね。
昭和50年3月24日、興浜北線の北見枝幸―問牧です。
1992レは13:23北見枝幸発ですから、13時25分ころの画像でしょうか。
はるばるとオホーツクを見下ろす丘からの気持ちのいい撮影。
前夜の旭川で合流した5人と北見枝幸で会った2人との計8人で登りました。
この場所から湾曲する沿岸を見ても、およそ80キロ先の雄武は見えません。
興浜北・南線の合体全通は夢のまた夢でしたね。
白く輝く流氷が点在する水平線が、まあるく見えたのを覚えています。

キューロク夕照(池北線)  

マグニファイングアイピースを購入してきました。
早速D300に装着しましたが、目に見えてファインダーが見やすくなったと
いうことはありません。ケラレも少なくて、実際の撮影現場が楽しみです。
キューロク夕照

今日の写真。昭和50年3月18日。池北線の仙美里での撮影。
のちに廃線になった3セク「ふるさと銀河線」です。
その昔、石北本線開通前はこの線が野付牛(北見)・網走への幹線でした。
深名線朱鞠内と置戸は道内有数の寒冷地。
澄み渡る大気は夕映えすら透明に映し出してくれました。
キューロクと貨物のシルエットが影絵のような印象でした。

山間(やまあい)の構図(大井川鐡道)  

梅雨の晴れ間とのことですが、寒暖の差が激しいですね。朝は涼しいのに
日中はうだる暑さです。気温と煙を秤にかけているのはわたしだけでしょうか。

上砂川線の写真を用意していたのですが、時間があったので過去ネガを検索。
さまざまにカテゴリーを作っているのに、写真点数にバラつきが目立ちます。
話は変わるけれど、画面の左側、カテゴリーから「現役・道東」とか「現役・道東」
とかをクリックしてくだされば、それなりに見応えがあるのでは・・・!?。
山間の構図

で、今日の写真は大井川鐡道は福用の俯瞰です。昭和53年2月26日の撮影。
パナトミックXで撮ってますね。ASA25~32クラスでは、このFX以外に
国産のネオパンF、Ilford-panFがありましたが、それぞれ特性が異なりました。
勿論、現像でかなり左右されましたけどね。NFが一番微粒子。ヌメーって感じ。
FXは硬めで抜けが良く、Pan-Fは肉のりが強かったのを覚えています。

このときは、大井川で午前中に走るスジの初公開。神尾での俯瞰が順光で、
ということで出かけました。その後これを撮影しましたが、当人(くま)は
全然覚えていません。この撮影行はkoppel-2さんとご一緒だったと思うので
フォローをお願いしますね。よろしく!!

山間の交換(大井川鐡道)  

暑い一日でしたが、明日はかなり冷えるようです。週末も冷えるといいな!!
今日はベローズとスライド複写装置を引っ張り出してきました。
リバーサルをデジイチで複写しようとの企み。フィルムスキャナーとの比較が
楽しみでした。が、なんと、ベローズが装着できないのです。
デジイチの右手グリップの盛り上がりがあたってしまって付きません。残念!!
山間の交換

昨日の撮影前に写した神尾でのカットを上梓。昭和53年2月26日の撮影。
その後、この撮影地が有名になったようですが、昭和51年大井川元年に、
仲間内の熊谷在住N氏が撮影していました。ただ、一日一往復だったので、
ここは逆光だったのですが、二往復の冬場が訪れたものですから、
koppel-2さんと出かけました。
このころからお気に入りだったポジフィルム、K-IIがなくなってしまい、
思うような色が出なくなってしまいました。
復活蒸機大井川といっても、もう30年経つのですね。歳とるわけだなぁ。

キューロクの軌跡(士幌線)  

肌寒い白煙の一日でしたね。そのくせ湿度が高く不快指数が高かったような気が。
キューロクの軌跡

今日は大井川、千頭にB6とともに保存していた49616の写真を
アップしようとしましたが、カビが多くてレタッチ不能。
キューロクといえば、一番好きな士幌線のちょっと変わった写真をアップ。
これが蒸機の写真なのかは、意見の分かれるところかと思いますが、
わたしのなかでは、疎林を通してしっかりとキューロクの姿が浮かびます。
昭和49年12月28日。黒石平の近く、元小屋ダムでの撮影です。

赤平Sカーブ(根室本線)  

毎日天候、気温がめまぐるしく変わり、身体がついていきませんよ~。
予報では、明日は曇り、日曜日は雨ときどき曇りの秩父地方。
純正のレンズフードではPLが回転させられないので、HOYAのゴムフードを
買ってきたくろくまだけど、出番はないだろうなぁ。
赤平Sカーブ

冬場なら手近に登れる丘や山が点在していた北海道も、夏場となると俯瞰は厳しい。
昭和50年の夏は、蒸し暑くて雨が多い夏だった。
すでに道央以外でのカマの火は消え、撮影地には芋を洗うようにファンが群れた。
室蘭、夕張、幌内は人だらけで居心地が悪かったので、根室本線に来た。
ここ、東滝川―赤平には空知川を渡るガーター橋があって、そこをメインに撮影。
駅から橋梁へ向かったとき、高みに撮影できそうな場所を発見。
ひとりぼっちの山の中、石炭を満載したセキを牽くD51を収めることができた。

真夏の黒煙(幌内線)  

梅雨前線が近づいてきています。ときどきの晴れ間もありましたが空は曇り。
じとじと暑い厭な陽気でした。いつものようにカメラを持って散歩しましたが
いつものように1カットも撮らずに帰ってきました。
真夏の黒煙

今日は、昭和50年7月30日の三笠―幌内炭鉱の写真です。
もろに鉄ちゃん写真なので恥ずかしいかぎりですが、お許しあれ。
この幌内線、役割分担があって、岩見沢から幾春別までの本線にはD51が、
三笠と幌内炭鉱の間はキューロクが活躍していました。

空セキを牽いて39696が奮闘しています。暑い夏場でこの煙。いいですね。
霧雨のために肉乗りしたネガになってしまい、粒子が見苦しくなりました。
レタッチソフトでのノイズレス処理は見苦しいので用いませんでした。

なんとか白煙(秩父鉄道)  

今日はテンション低いです。気分は滅茶苦茶ハイなのですが、ブログアップが辛い。
孤高の精神でひとり俯瞰に励んでいたくろくま、今日はちょっとちがう。
ブログの楽しさを教えてくれた「ひぐま3号さん」との逢瀬です。

前日から天気予報では「大雨」とのこと。キャンセルのメールが来るかなっと
思っていたけど、来ません・・・。まぁ、雨の秩父も煙が出るからいいかなっと
出かけたのですが、普段の休日には登山客やSLファンを数多く見かける車内は
ガーラガラ。あたりまえですよね。こんな日に蒸機撮る人いませんよね。

で、「スカくま=ひぐま3号」、「ガスくま=くろくま」のコラボは、じつに
予想通りの「ガススカ」。この勾配区間で見たこともないほどの見事なスカ。
恐るべしひぐま3号さんの「スカ王」ぶりでした(感激~)。
白久後追い

そんな訳で下りの5001レはアップする云々の出来ではなく、返しの画像を
いやいやアップ。今日は、三峰口駅で缶ビール2本、撮影場所で1本。
移動の車中で1本。寄居の焼鳥屋でまたまたビールと酒浸りの二匹。
眠いけど、アップしないと許してくれそうもないので、渋々のアップです。

●今日の驚きコーナー
くろくまの靴とひぐま3号の靴が同じでした。メーカーも色も。サイズはわからん。
ひぐま3号の熊除けベルとくろくまのそれが同一品でした。
これには、人の来ない高みに臨む習性と一緒なのかなと思わず笑ってしまいました。

ひぐま3号さん、またご一緒しましょうね。今度は難易度10くらいを支配しましょう。

常紋考(石北本線)  

この週末は常紋信号場でC11の復活運転がありましたね。
ものものしい警備だったようです。
ここは現役当時、人柱や亡霊がでるといった、いわくつきのスポットでした。

くろくまは現役時代に常紋信号場を訪れたのは二回。隧道を抜けたことも
金華へ降りていったこともありません。じつは吹雪に阻まれたのです。
いまでもガスくまなのですが、当時から相性の悪い所があったのです。

昭和50年12月以降も、冬と春には渡道したくろくま。渡道総数30回とか・・・。
昭和53年の春には常紋を訪れました。まあ「怖いもの見たさ」でしょうね。
凍てついた常紋隧道には氷柱が・・・。
隧道の氷柱

そして、金華よりにある地蔵尊。
歓和地蔵尊

碑文には、こう記してありました。
歓和地蔵尊建立の由来
地蔵由来書

 湧別線工事中最大の難工事とされていた常紋ずい道
(五〇七米)は大正元年にはじまり三年の年月をかけて大
正三年十月に完成しました 工事は本州方面から募集し
てきた労務者を飯場に収容し通称タコと呼ばれた者によ
って行なわれた
 労務者は人権を無視された苛酷な取扱いをうけ粗食と
重労働で病気にかゝる者も多く医薬も与えられず体罰
を加える、そして使役不能とみたものは一定の箇所に監禁
し死者はそのまゝ次々と大きな穴の中へ投入してしまう
という残虐非道なことが公然と行なわれたといわれ
ている、このずい道工事中百数十人の若者が犠牲となり
ずい道附近に埋められております
 常紋信号場が開驛してから誰れ云うとなく「火の玉が出
る」「信号が消える」などの噂もでたり常紋に居住している歴
代の職員家族に病人が多く出るのも怨霊のためでは
ないかといわれていた
 そこでこれら痛恨で眠れぬ迷える魂の供養を営む
べく留辺蕊町長を初め町議会議員各業者等個人の援助
と中湧別保線区の協力により昭和三十四年に歓和地蔵
尊を建立し同年六月二十四日に入魂報祭が執行されそ
れ以来毎年六月二十四日には地蔵祭を行ない霊を慰め
ている 地蔵尊はこゝで鉄道建設に捧げられた尊い犠
牲者の御霊を永久に祭り今日石北本線の一環である常
紋信号場の安全と職員並びに家族の精神の安定に
寄与されているものである

今年の6月24日にも地蔵祭は行なわれたのでしょうか。
おおとり常紋通過

「おおとり」がスイッチバックに入ってきました。
昭和53年3月21日の常紋信号場でした。

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