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シャーベットが食いたい!(石北本線)

皆さん、こんばんは。
暑さのはなしや、柔道のジャッジのはなしをしても栓ないことばかりですね。

先週の金曜日、土用の丑の日以来どうしても鰻が食べたくなったくろくま、
日曜日に近くのスーパーで値引きされた国産モノを買ってきました。
ご飯は「サトウのご飯」、レンジでチンして丼に移し蒸らしてから食べましたよ。
あははっ。自宅にいても出てこないモノを待つより、自ら求めないと得られないんです。
求めよ! さらば与えられん、なんてここで使っちゃいけない台詞だろうなぁ(笑)

シャーベットが食いたい!(石北本線)
復活蒸機への出撃もなく、語呂合わせも手詰まりとなってしまいました。
何を挙げようかなと迷っていたら、先日アップの常紋信号場に涼しげな写真が……
D511077の牽く1590レであります。
しかし、駅(信号場)を降りたその場所がこんな撮影地だったなんて、贅沢でしたね。
今日の都内は35℃、常紋の冬は−20℃、50℃以上の気温差があるんですね。

1973年3月25日 石北本線 常紋信号場
Nikomate-FTn 135mm f2.8 Neopan-SS ASA100 DP仕上
Cool Scan 5000EDにてスキャン 画像処理 Photoshop CS4EX

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ネットで検索すると、アメフラシ料理が隠岐や千葉・大原にあるようですね。
ちなみにアメフラシとウミウシとの違い、総称がウミウシとのことです。
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コメント

コメント(8)
くろくま様 常紋ですね 自分はこの1年後に訪問していますが、73/3の方が雪がありますね。 信号場下車してすぐのポイントはそれなりに人もいましたけど、いいカ-ブでお手軽でした。 柔道のどた旗判定には驚きましたが、負けちゃったけど48kg級のお姉さんは元会社の柔道部の娘でした。明日辺りもう一人の出いてくるのかな、今度は勝つかなぁ 北京の時は壮行会で陸上部のお姉さんの写真撮ったけど惨敗でしたので今回は頑張って欲しいなぁ  写真甲子園も終わりましたが 選手権大会の出場高も出揃い抽選会が楽しみです。 市内の高校が代表になりましたが、ユニフォ-ムのセデザインが嫌いです。

koppel-2

2012/07/30 URL 編集返信

この画の雰囲気は何処かで見たと思ったら、駅(信号場)から撮れる画と聞いて
納得いたしました。駅からこんな山の中が見えるなんて、やはり常紋はいい所だったと。
もう少しだけ、D51が残ってくれたら春の残雪の中を行くシーンが撮れたのになぁと
常紋か大雪崩れかを選択した50年のGW一日だけの北見行きを恨めしく思えてなりません。
もっとあの時アクティブだったなら、後年の後悔もなかったことでしょうね。

ひぐま3号

2012/07/31 URL 編集返信

koppel-2さん
たしか貴殿は隧道越をしたんでしたよね。
くろくまは天候とその後の予定のため、場内から写したっきりでした。
ここの早朝は白煙と光の回り方がとっても素敵でした。

>柔道のどた旗判定には驚きました……
あははっ、うまいうまい。
畳の下の審判がジュリーだってのも笑えましたよ。

ペナントレースでは西武がやっと出てきました。
甲子園に、オリンピックに、と貴殿もお忙しいことでしょう。
あっ、写真展もあることだし。うまいこと夏場を乗り切ってください。

くろくま

2012/08/01 URL 編集返信

ひぐま3号さん
はい。誰もが写す場所からです。
当時は信号場で乗降できましたし、頼めば隧道内を点灯してもくれました。
朗らかな時代だったなぁと思いますよ。
大雪5号で行くと早朝のちょうどいい時間帯に着くことができましたし、
そのまま名寄本線や緋牛内近辺に抜けることもできました。

>常紋か大雪崩れかを選択した50年のGW……
大雪崩れだって、しっかり撮れてたじゃないですか。
常紋はそれこそ膨大な数の写真が撮られている場所、むしろ良かったかもしれません。

くろくま

2012/08/01 URL 編集返信

白煙が涼しさを通り越して寒さを感じさせてくれますねっ。

ねこは1986年3月14日、この辺りを歩いておりました。-15℃、未体験の寒さだったことを記憶しております。

でも、若い頃の寒い日は着込んでサントリーホワイトのポケット瓶をなめたら耐えられましたけど、いい歳になって東京で味わう暑さは耐えられませんね。
服を脱いでも暑いし(街中で脱ぐわけにもいかないし)…

ねこ

2012/08/01 URL 編集返信

ねこさん
1986年といえば、昭和61年ですね。
くろくまは1982年頃までは毎冬渡道してあちこち彷徨っておりました。

旅行者っぽく見られるのが厭でコートを羽織るだけの軽装でしたよ。
夜行列車のお供はやはりキオスクで売ってるミニの角瓶でした。

尾岱沼とか浜頓別とか一ヶ所に留まっていることが多かったように思います。
現役当時には北母子里で−38℃を体験しましたが、−15℃くらいでも風が吹いているときはそれ以上に寒さを感じたものです。

ちなみに、−15℃を切ると鼻毛が凍って気持ち悪くなるんですよねっ!

くろくま

2012/08/02 URL 編集返信

まさに一服の涼であります
客車のデッキや、キハ22の運転室扉から地上に降りると、その瞬間この景色が目の前でした。
信号場構内の停車場線は、複線で左カーブしてずっと先まで延びていました。
そこが国鉄公認の名撮影地でしたね。
摂氏35度の中で-20度の作品を拝見し、涼感を得ましたです。ありがとうございます。

私がここで最初に撮影しましたのは、やはりこのD51 1077号機[北]による1590列車でした。
その日は補機仕業が9600で、生田原から急行大雪6号を押していったカマが、留辺蘂で転向して1590列車を猛然と押してきました。
止まりそうな速度での奮闘に、D51と9600、わずかな動輪径の違いがブラスト音のテンポに与える影響の大きさを実感したのもこの時でした。
信号場中心の分岐器は振り返るとすぐそこでしたが、そこからわずかのこの停車場線の立ち位置で、本線とこんなに高低差が付いてしまっていますから、25‰勾配とは恐るべしです。

現在、この立ち位置は草木が伸びておりまして綺麗に本線が望めず、少し前に出る必要があります。
数年前の常紋でのC11運転の際の話ですから、もっと条件は悪いかもしれません。
それから、去年と今年の2年間、北見-斜里間でC11が運転されましたが、その北見への回送はC11の前にDE15が付いて運転され、C11は有火で、しかもこの上り25‰勾配区間は力行するんです。
去年も今年も個人的に秘かに狙っていましたが、仕事が入ってしまい行けませんでした。

信号場の線路閉鎖から早や10年以上、私たちがカメラを構えたこの停車場線にも、トンネルの右横から奥に延びます突込線にも、もう列車は入ってきません。
でも、線路も建屋も信号機器もすべて存置されていますから、復活は今ならまだ容易と思います。
D51を9600を復活させ、冬と夏のシーズンにここにベースを作って運転させたら凄いことです。

とおりすがりです

2012/08/03 URL 編集返信

とおりすがりです さん
思い出しますねぇ。
客車のデッキから凍りついたところに飛び降りるとき、こけないかな?
と心配したものです。(よくこけましたが……)
銀凾と三脚は当たり前のように放り投げたものです。

とおりすがりです さんはキューロクの補機を撮っておられて羨ましい。
くろくまの撮ったときは二度ともDE10の後補機だったんです。
単機回送のキューロクを写してはいるものの、どんな運用だったかすっかり欠如してます。
当時は大雪6号の補機もキューロクだったんですね。
そういえば、最後尾に移動したような微かな記憶が……

>C11は有火で、しかもこの上り25‰勾配区間は力行……
それはオイシイ話ですね。
引き込み線も建屋もあるのに列車は素通り、なんて悲しい感じがしますが
今でもファンが群がる常紋ってすごいところだと思います。

くろくま

2012/08/06 URL 編集返信

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メタボに悩むくろくまです。
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