くろくまと蒸機たち

懐かしい蒸気機関車と復活蒸機写真との怪しげな融合。

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閉山間近の炭礦にて(夕張鉄道)  

皆さん、こんばんは。
五輪観戦とネタ不足により、昨日もさぼってしまいました。スマソ〜。

夕鉄鉄道は野幌から夕張本町までの53.2km、駅数19の私鉄です。
北海道炭礦汽船により大正15年に設立され、昭和5年に前線が開通しました。
ぼくらが訪れたころ、すでに鹿ノ谷—夕張本町は営業廃止されており、
49年3月には野幌—栗山が、翌50年3月には北炭平和炭礦が閉山。
4月には野幌—鹿ノ谷も営業廃止となったのです、とネットで知りました。

鹿ノ谷、営林署前、若菜、夕製前、礦業所前、平和、錦沢……
国鉄夕鉄線と別れ、右にオメガカーブを描いた後、平和駅に到着します。
そのまま行けば左カーブ、隧道を二つ超えて錦沢駅へと至るのですが、
平和駅から左に行くと、専用線の先に平和砿がありました。

閉山間近の炭礦にて(夕鉄鉄道)
今日の画は、入れ換え作業に勤しむキューロクをば……。
平和砿は平和駅より一段低い位置にあり、勾配は25‰だったと記憶しています。
30分くらい入れ換え作業をしていたでしょうか、平和駅に向けて出立です。
長〜く重いセキを押して登っていくんです。
ちなみに、平和から平和鉱を眺めた写真はこちらです。

1973年12月25日 夕鉄線 平和砿にて
Nikomate-FTn 35mm f2.8 Tri-X ASA400 Microdol-X 20℃ 10min
Cool Scan 5000EDにてスキャン 画像処理 Photoshop CS4EX

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男子柔道、金メダルなしに終わりましたね。
ってコトより、わが獅子軍団、ニシグチが出てこない方が心配です。
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コメント

くろくま様 働く夕鉄の罐ですね。 でも>1973年8月1日 ではなかろう・・・ 正しくは73/クリスマスでしたっけ 自分はまだまだ渡道に及ばず、年末から七尾線へいってました。 74/3に訪れた時は後の山にドラフトが反響して 余りの力強さに驚いたものです。 最期の春にようやく自分は間に合った訳ですが、ろくな記録でしかないのが残念です。
 07年夕張応援号の時に再訪していますが、綺麗に整備されています。 野球場もありましたよ。 なにせ 広かったもんなぁ・・・

koppel-2 #darb9Gq6 | URL
2012/08/03 23:06 | edit

おぉ、これが平和の専用線ですね

こういう雰囲気の中、9600(おっと、21形でしたっけ)が入換をしてたんですね。
鹿ノ谷から谷方向のすぐ近くで展開していた光景なんですよね。
きちんと歩いて確認しに行けば、こういうシーンに出会えたわけです。
(ここは歩いていく方向が大きな問題なんですけどね)
考え及ばず機関区と鹿ノ谷駅構内のはずれでした撮っていません私は、とてもうらやましいです。

久しぶりに強めの階調、と思いきや、雪晴れのTXでした。
なんか「偵察にいったら、いきなり出くわしたシーン」という情感も想像されます。
マイクロドール原液でスカッといかれましたね。
最終的には最高のレタッチが情景を蘇らせたこともよく承知しております。

夕鉄は昭和50年3月31日が最終日でした。
その前日に鹿ノ谷機関区を訪れましたが、もう多くの21形が運用を終えていました。
最終日もここで撮影することを考えましたが、思わず夜行大雪で石北を目指してしまいました。
そこでくろくまさんと邂逅がありましたのはいつぞやのとおりであります。
この日、石北の大雪(おおゆき)から早々に逃げ戻ってくるのなら、21形の最終入換を撮影する手もあったなと、今そう思っております。

栗山付近には国道234号が意味もなく上下します夕鉄オーバークロス跡も残っておりますし、栗山の町内の公園にはなんと21号機が保存されており、夕鉄の余韻を今も少し感じることができます。
「これは何? どうして21?」と、こがねっちに連れていかれた21号機なんですが、あの頃撮影しました写真とそっくり、簡易排雪装置と自動解放装置のシリンダーも付いたままでありました。

とおりすがりです #As1Z2MT6 | URL
2012/08/05 18:26 | edit

炭鉱(やま)の主って存在だったのでしょうね。
73年の末であれば、まだ11型(自社発注のキューロクとハチロクの合いの子みたいな罐)も活躍していた頃ですよね
その姿も見られたのでしょうか?
道民だったひぐまには、夕張、芦別、美唄、赤平、三笠などの町は炭山の都ってイメージでして
こと、夕張は全てが炭鉱からなり得る町と言う感じでしたが、当時の年齢的にそこでの罐を見ることが出来ず
自らが動けるようになった時には既にその存在は無く国鉄の現役蒸機以上に悔しさを覚えたものでした。
こう言った炭鉱の日常の画を見る度にその思いが過ぎりますよ〜羨ましいですぅ!

ひぐま3号 #SUrRdnzA | URL
2012/08/06 11:18 | edit

koppel-2さん

すみません。あまりにも多いので、打ち消し線なしで直してしまいました。
当時はどうしても北海道や九州に出かけたかったので、
各地に行けなかった路線がありましたが、能登もそのひとつでした。
能登中島なんて地名や赤ナンバーのC56など、誌面で覚えましたっけ。

平和はよかったですね。規則正しく並んだ炭住、
それを包み込むようなオメガカーブの大築堤……。
若菜辺りでは夕張線の下りD51も力走していましたよね。

ウェブで応援号や変わり果てた風景の写真を見るにつけ、
刻の重みを感ぜずにはいられません。

くろくま #uRLT.2RM | URL
2012/08/06 19:28 | edit

とおりすがりです さん

はい。平和鉱というらしいです。
平和に向けて猛烈な煙を吐き、往復を繰り返すカマに近寄ってみたんです。
今にして思えば、ここで構築物を写しておけば良かったなぁとしきりです。
当時の稚拙な頭脳(今もですが)では、ただ写すことしかできませんでしたよ。

因にこのカマは、紛う方なき昭和生まれの「21」号機、大好きな東尾の背番号(笑)

ここではたぶんY48(Y2)なんぞを噛まして写したと思います。
スキャンもネタ不足から、恥ずかしの取って出し、シングルスキャンです。

あの緋牛内の会えなかった邂逅の前日は鹿ノ谷でしたか。こちらは赤平でしたよ。
それにしても広い北海道で、撮り仲間の精神的な距離はとっても近かった。

栗山の公園に鎮座しているという21号機、ブログ写真を見たかぎりでは
あまり良好とはいえない保存状態ですね。尾灯も外されているし……

>簡易排雪装置と自動解放装置のシリンダーも付いたまま……
これらを改造してまで保存はしませんよね♪

くろくま #uRLT.2RM | URL
2012/08/06 19:52 | edit

ひぐま3号さん

残念ながら11号機にも14号機にも逢えませんでした。
この年、ここに行ったのも単なる偶然からでしたよ〜っ。
今でも鮮明に覚えているのは、鹿ノ谷からここまで歩いてきたときのこと。
商店で買ったコカコーラのホームサイズ、冷蔵庫に入っていなかったんだ。
一気飲みしようとしたのですが、瓶のなかでは結晶が運動会。
あまりの冷たさに、胃袋が落ちちゃうんじゃないかと真剣に思った次第です。

そのうち、ふたりだけで呑み鉄でもしましょうかね。

くろくま #uRLT.2RM | URL
2012/08/06 20:29 | edit

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